戦国武将・武者人形の戦国堂
最近気になって調べている郷里出身の戦国武将「藤田信吉」についての第一稿です。多くの人にとって気にとめることもなかったほとんど無名の武将であり、歴史通の上杉ファンから見たら「土壇場で上杉家を裏切ったとんでもない奴No.1」ともいえる人物です。裏切り者、肝物、逆臣、風見鶏等々決してよく言われることのなかった藤田信吉の人生について、あらためて掘り下げてみたいと思います。苦難の時代に生きる現代のサラリーマン諸氏にとっても、難局に当たっての身の処し方をあらためて考えさせられる一人の男の生きざまが見えてくるのではないかと思います。

2010年12月27日
「歴史に埋もれてしまった悲運の武将 藤田信吉の足跡1 波乱の生涯」

 「歴史とは勝者の記録である」と言われます。古今東西を問わず、歴史は勝者によって記録されるもので、当然のことながら、勝者にとって都合の悪い過去は消去され、勝者を正当化するために事実が歪められ記録されていることがあまりにも多いことは、よく知られている通りです。事実の歪曲という悪意のない場合であっても、物事には表裏があり、史実の解釈も敗者の視点で見たら、まったく違う姿に映ることもあります。

 小学校以来の自称・上杉謙信公の信者であり、生まれ育った関東地区だけでなく、新潟県や山形県に至るまで上杉謙信公および上杉家所縁(ゆかり)の地を旅し、様々な史跡や資料を目にしてきた筆者ですが、最近、上杉家の歴史上にある面白い人物の存在に気づき夢中になって足跡を追っています。

藤田信吉 その人物の名は「藤田信吉(ふじたのぶよし)」。上杉景勝公に仕え、謙信公亡き後の混乱する越後平定に大活躍したものの、関ヶ原の合戦を前にし、対徳川融和を主張して直江兼続ら主戦派と対立、ついには上杉家を出奔し徳川家のもとへ走り、家康の上杉征伐のきっかけを作ったともいわれている武将です。この辺の件(くだり)は、大河ドラマ「天地人」の劇中にこそ出てきませんでしたが、火坂雅志氏の原作の文中には、(あっさりとですが)登場しています。

藤田信吉 「天地人」原作を読んだ時には、上杉家存亡のかかった非常事態でもあり、戦国唯一ともいえる義を重んじる上杉家中も一枚岩とはいかず、こんな異端児がいたんだな、というくらいの感覚で特に気にも止めていませんでしたが、最近、とある理由で北条氏邦について調べるため郷里にほど近い鉢形城歴史館(埼玉県寄居町)を訪れたところ、再び藤田信吉の名を眼にし、彼が寄居を中心とする北武蔵の豪族・藤田氏の出身であること、信吉自身が北条氏邦の義弟にあたること(実姉が氏邦の正室)、北条氏に生家を乗っ取られ父と兄を毒殺されたこと(異説あり)などを知り、その波乱の生涯に大変関心が湧いてきました。

直江兼続 直江兼続ら関ヶ原の合戦当時の上杉家主流派から見れば、有名な直江状の中でも糾弾されているように、信吉はとんでもない「裏切り者の売国奴」であり、その影響で現代にいたるまで、「向背定まらぬ肝物」という酷い評価に甘んじているわけですが、どうもいろいろ調べてみると、単に勝ち馬に乗ろうとしただけの狡猾な風見鶏とはとても思えない、世評とは異なる姿、苦悩しながらも信念を貫いた懸命な生きざまが見えてきます。前述の自身の悲惨な生い立ちも、「家の存続」にこだわり続けた信吉の生き方に大きな影響を与えているであろうことは想像に難くありません。

 私自身、昨年来関心を寄せている武田勝頼が良い例ですが、どうも「判官びいき」というか、才能に恵まれ、かつ懸命に努力したにもかかわらず夢破れ、後世の不当な評価に甘んじている悲運の人物に肩入れする性癖があり、藤田信吉の場合もその名誉回復とまではいかなくとも、彼の生きざまを知り、彼の目線でもう一度激動の戦国時代を見てみると、北条、武田、上杉、徳川という時代を彩る主役達の華やかな歴史も、また違った姿が見えてくるのでは、と思い立った次第です。
(続く)

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